没後時間がたったこともあり、最近司馬遼太郎さんの小説に対する批判を目にすることが増えてきました。
親や兄が歴史が好きだったこともあり、小学校のときに初めて「花神」という小説を読んだのがはじまりです。
ちょうどNHKの大河ドラマも「花神」だったのでイメージがそのときの配役になっちゃってます。
最近の歴史ブームはとてもよいことなのですが、ちょっと気になるのは、小説なんだからとあまりに実際の事実と違うことを書くことです。今年の大河ドラマの「西郷どん」の原作者と脚本家の方が、印象を強めるために史実と違うところをどんどん出して、新しい西郷像を出していきたい。。。みたいなことをいっているのを読みましたが、そこまで行くと、それは普通の小説でやってください、と感じます。
歴史小説にフィクションの部分があるのは、あくまで資料が不十分なところを学者でない人間が空想で穴埋めしているのであって、勝手に歴史を変えてしまったらそれはSFになってしまうのでは?と思います。
あまりにフィクションばかりになると、なぜ歴史を勉強するのか、という意味が違ってきてしまうのではないでしょうか?
歴史好きが増えるのは大いにいいことなんですがね。
なんのため歴史を勉強するのか、はずれちゃうとおかしくなるんじゃないでしょうか。