まだ5月というのに真夏並みの猛暑がが続いています。健康にくれぐれも気を付けましょう。
さて、昭和40年生まれのわたしとしては、坂本龍馬は日本が誇る英雄という感覚です。
ヒーローど真ん中。
そもそも、坂本龍馬が今のように知られるようになったのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」からといわれています。
「竜馬がゆく」自体は、連載時はまだ生まれていませんでしたので、当時「坂本龍馬」という人がどれくらいの知名度だったかわかりません。
少なくとも、いまのような知名度でなかったのは確かです。
その「坂本龍馬」ですが、近年司馬遼太郎見直しブームが起こっている中、だんだんその真価について?がついてくるようになってきています。
もちろん、根本的に司馬遼太郎の描いたような人物でなかったとか、そういうわけではありませんが、薩長同盟は龍馬のおかげとか、大政奉還は龍馬のおかげとか、司馬遼太郎の小説で描かれたような事実ではなかったことが議論されています。
これについて、わたし個人としては、最近の説のほうが実際だろうと思います。坂本龍馬がたったひとりでそこまで世の中を動かせるか、というとやっぱり現実的にどうなのかと思いますので。学生時代ワクワクして、「自分も坂本龍馬みたいになるんだー!」と熱いで司馬遼太郎の小説を読んだ身としては、少しさびしいですが。。。
そんな坂本龍馬について、また寺田屋事件は龍馬の思惑通りだった、という学会での発表がありました。
簡単に言うと、寺田屋で龍馬が襲われたのは、龍馬としては「薩長同盟」の書状を奪わせて、薩摩藩に後戻りできないようにさせるためだった、というものです。
つまり、坂本龍馬という人は結構いろいろと「寝わざ」を使う人だったということです。
イメージとしては「目的のためにはなんでもする人」、という感じです。
これによって、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の価値が下がるとか、そういうわけではありません。小説の中でも「竜馬」は決して嘘もつかないさわやかな英雄というわけではないですから。ユーモアがあるのでっ気が付きませんが、結構ちゃっかりしていたり、ずるがしこい感じがします。
おそらく、実際の坂本龍馬も実は底抜けに明るいとかそういうわけでもなかったかもしれません。敵からすると、白を黒と言いくるめる、ずるがしこい人間だったという印象だったんじゃないですかね。
リアルタイムの今現在に、非の打ち所がないヒーローという存在がいないように、歴史の中で完璧な人はいないのでしょう。