昨日に続き、山崎豊子氏の「白い巨塔」について書いてみたいと思います。
昨日、最後のほうで少し触れましたが、わたしも年を取ったせいか若い時のまっすぐな正義感がだんだんゆがんできているようで、本作品に正義漢として出てきている里見教授などに違和感を感じるようになってきました。
もちろん、正しいことは正しいということは大事なんですが、正しいことがすべて人を幸せにするとは限らないと思えるのです。
「白い巨塔」の中では、自分たちがうまみを得るためにはなんでもするタイプの人たちがたくさんでてきます。そういう金亡者・権力亡者はたたかれていいとして、例えば柳原医師などのような立場の人が正直にすべてを言って、人生が台無しになるとなると考えてしまします。
中でも、だんだん違和感を感じてきたのが、旦那さんを財前教授の不手際で失ってしまい裁判を起こした佐々木さんの家族と弁護士です。
普通に読むなら、彼らが勝つことでやっぱり悪は滅びるんだ、ということを描きたかったのかなとも思うんですが、よく読んでみると佐々木さん家族が勝訴するまでに、犠牲になっている人が非常に多い。おまけに、佐々木さんの奥さんをはじめ、裁判に勝つという自分の目的のために、結構ずうずうしいこと言ったりやったりしているのがとても気になりました。
最後のほうで、証拠の書類をわざわざ大学から持ち出してきて協力した、江川医師なんて最悪ですよ。
名前を出さないという約束で協力したはずなのに、裁判の当日原告側の関口という弁護士に名乗りをあげてくださいと言われ、結局大学での籍をうしなったわけです。
この関口弁護士という人、小説の中では社会正義のために立ち上がった弁護士として描かれていますが、こまかいところで勝つためには前述のような人との約束を踏みにじったりということを結構やっています。
原告側の佐々木さん家族もそうです。
裁判のシーンで相手の弁護士に指摘されますが、旦那がなくなったときに店をたたんで郊外で雑貨屋などをやっていれば父さんして経済的にまだ余裕があったのに、お店にこだわり経済状態を悪化させたんは自分たちの判断ミスじゃないんですか? というようなことを言われるところがありますが、わたしはこの点は悪徳弁護士のいう通りと思うんですが。。。
佐々木さんの奥さんについては、こうしたひとりよがりの思い込みが目立って、途中から素直に味方ができなくなっていきました。
それにあわせて、里見教授のみんなの都合ももうちょっと理解しようよ、と感じる一直線さもだんだん違和感を持ってきました。
山崎豊子氏が、わたしが述べたような点をどこまで考慮して書いたかわかりませんが、原告側が一方的に正義に映らなかったという点が、むしろわたしには小説の奥深さにつながったと感じています。
柳沢医師が正直に話したのをみて、わたしの中の悪魔が「黙ってりゃいいのに。。。」とささやくのを感じました。
。。。つづく