今日は、10年後20年後に「令和」の始めがどうだったかを振り返るために書いてみたいと思います。
5月1日から「令和」は始まっていますが、ゴールデンウィークも終わり、今日から仕事が始まり、「令和」の本格稼働というところが多かったのではないでしょうか。
。。。と言いながら、「令和だなあ」と思った瞬間て今のところないですけどね。
もっと政治の中心で生きていたら、すごく歴史を感じることが多いのかもしれませんが、一般庶民はだいたいこんなもんです。
覚めた意見をいっていますが、個人的にはこうした意見を残しておきたい。。。と
昔読んだほんですが、幕末に歴史の転換となるエポックと後にいわれた「池田屋事件」というのがあります。
「池田屋事件」がどういうものかは、別の機会に述べるとして、おもしろいなと思ったのは、事件の当事者以外(周りの見物人)は、それが歴史的な出来事だなんて全然思ってもみなかったということです。
池田屋あたりで斬りあいが始まったぐらいの感覚だったという記録が残っているらしいです。
「池田屋事件」に限らず。歴史の瞬間なんて結構そんなものなんだろうと思います。
後から振り返って、実はそれが歴史の瞬間だった。自分は歴史の瞬間に立ち会っちゃった、みたいな。
今日、私が言いたいことは、そうしたことです。
むしろ、ドラマのようでないところが歴史の深みというか面白みというような感じが最近しています。
おそらく、何年後に「令和」の始めが歴史になるんでしょうね。
そのときに、今日の文章を読んでみたいです。
なんだかわかりづらいことを書いていますが、歴史好きなもので、最近歴時の事件の場所に行ってみたりするのですが、当然そこはもうリアルタイムの事件現場ではないので、「つわものどもの 夢のあと」状態になっています。
そういう瞬間に、上記のような感情を持つようになってきました。
その事件の当事者は、どういう思いでその場に立っていたんだろう、とか考えるとわくわくしてきます。
私は昭和40年生まれですが、歴史は以前は「読む」ものでしたが、現在はだんだん「感じる」ものになってきました。
自分が生きた、たかだか50年ですら、世の中がずいぶん変わりましたものね。
「昭和」「平成」「令和」と生きちゃったし。
江戸時代のトイレがどういうものだったか、最近わからなくなっているという話を聞いたことがあります。
人類は当たり前すぎることをわざわざ記録に残さないから、わからなくなってしまったそうです。
そいういう意味でも、私の文章が将来の偉大な発見につながることを祈ります。