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「白い巨塔」「不毛地帯」について、まだまだ書きたいことがたくさんあるのですが、山崎豊子氏の「二つの祖国」を読み始めました。

 

読書記録を残すことは有意義なことです。が、本好きにとってはやっぱり読んでいる時が至福の時間ですね。

つい新しいものに手が伸びてしまいます。本屋に行けば一生かかっても読み切れない本があり、晴耕雨読なら晴読雨読のできる高等遊民になりたいと思う今日この頃です。

晴ゴルフ雨読ですね。目指すところは。。。

 

ほんとうに若い時と本の読み方が変わってきました。特に小説に顕著です。

最近の小説の読み方は、完全に現実逃避!本を読んでいるときは別世界に行けるので、それが楽しい。ああ楽しい。

 

先日このような内容の話を会社の先輩としたのですが、そう先輩は技術屋ということもあり、まだ専門書を読んでいるほうが自分は楽しいということでした。

その気持ちもわからないではありません。小説を読んでいわゆる学問的な何かが直接身につくということはないですもんね。

 

ただ、若いころは経営者は小説を読め!ということがまことしやかに言われていた時代でして。すなわち人を相手にする経営者などのリーダーの人は小説を読んでほかの人の人生を数多く体験することが大事である、というものです。

 

そうした需要によく答えたのが、司馬遼太郎氏の歴史小説だったんだと思います。

司馬遼太郎氏の小説を読んでみるとわかりますが、とにかく心の中のつぶやきが多いです。ああ、偉い人はこんなふうに考えてるんだなと勉強になりますね。

(注意として、それはあくまで司馬遼太郎氏の空想であって、ほんとうに登場人物がそう思っていたわけではないことを忘れてはいけません)

歴史小説というのは、大まかにいえば、作者が言いたいことを歴史上の人物を通して語っているわけです。ただ、人生経験の少ない若者などにはよい勉強と思います。

 

しかーし。自分の考えが凝り固まってくる中高年になってくると、司馬遼太郎氏の小説が少しうそくさく感じてきたりもします。

 

それに対して、山崎豊子氏の社会派小説の主人公は決して立派ではない。「白い巨塔」の財前五郎なんて、こういう人にあまりかかわりたくないぐらいなところもあり、でもそれが現実の社会なんだろうなあ、などと変に納得したりして、小説のなかにのめりこんでいたりします。

それでなにか得たかというと、どうだかな?という感想が残るんですが、いままでそうした読み方をしてこなかったので新鮮です。

 

おっと、「二つの祖国」についてほとんどふれずにいてしまいました。また、途中経過を書きたいと思います。

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