山崎豊子の戦争三部作のひとつと言われる「ふたつの祖国」
読み終わりました。
率直な第一声は「こんな終わり方すんの!」です。
切なすぎる。。。
考えてみれば、「白い巨塔」も当初は悪が徹底的に勝って終わる予定だったわけですから、山崎豊子作品としては、こういう終わり方もありなんでしょう。
非常にインパクトがある終わり方なので、作品としては大成功でしょう。
ネタバレで詳細を書いてしまってもいいんですが、なんだかもったいないので、今回は書かずにおいときます。
個人的に気になるのは、後半はほぼ東京裁判の話になるのが、ちょっと詳細すぎな感じがしたことです。
2019年のいまだから、東京裁判の資料も多く出ているし、いろいろな事実も公表されてきているため感じることなんだろうとは思います。この小説が出たころはここまで詳細に調べ上げた小説はなかったので新鮮だったのでしょうね。
ただ、100年後評価されるかというと、微妙ですよね。東京裁判の記録が読みたいのではなくて、東京裁判を通した人々の心の動きに小説という興味を感じるので、事実の描写を長々されてもちょっと中だるみを感じました。
東京裁判の歴史に興味がある方は、とても参考になると思うので、この部分が小説の価値を下げているわけではありません。
実際に東京裁判の通訳関係の人達はは、その後まともな人生をおくっていない人が多かったようです。 そうした「ふたつの祖国」のモデルになった人もいるみたいですね。
わたしは、どちらかというとそうした正式文書には出てこない歴史に興味があります。
前半部分では、いままでどちらかというと日本人からみた太平洋戦争の本が多かったので、新鮮でした。
アメリカ側から見た太平洋戦争というのは、日本にいるとなかなか実感できる機会がありません。
年配の日本人ならあたりまえの「歯を食いしばれ!バシっ!」みたいな教育は、独特なのがものすごく実感しました。
いま日本はどんどん欧米化していっていますが、40年生まれの野球部経験者であるわたしなどからみると、いまの世の中やっぱりちょっと寂しい感じはします。
まあ、わたしもあまりビシバシの体育会系のノリで水を得た魚みたいになるほうではないのですが、「1年!パン買ってこい!」とか言われるとちょっとうれしくなってしまうようなところはありますんで、最近の上下関係というのに、日ごろは言いませんが、ちょっと物足りなさを感じています。
「ふたつの祖国」では、そうした日本文化がちょっと客観的に変じゃない?と感じられたので新鮮でした。